社会が硬く見かけだけ綺麗に成れば、成るほど苛めは陰湿になる。
何故いま、自分らの時代より苛めがハードに成ったのか。
子供達に興味を満たす楽しみが無いからである。勉強尽くめか、そこからの落伍か。そして叔母さんが認める良い子の遊びしかない。
テレビ番組も子どもに有害という理由で規制だらけである。
私たちが子供の頃は、少し前は深夜に追いやられていて、今では絶対放映されない番組がゴールデンで放映されてた。それがかなり苛めの抑止になっていした。
苛めが壊滅する事は永久に無い。
大人の世界にも苛めは存在する。そしてもっと陰湿かつ表面には出ない。また了解を得た虐めもある。
了解を得ない苛めは相手を攻撃、または蹴落とす意向が強い。
了解を得た虐めはハードでも被虐者の負担は軽い。了解を得ない苛めは、僅かな事でも苛められる側を深く傷つける。
子供が何の手本も無く苛めを敢行すれば、限り無く残虐になる。そこに好奇心と、アダムとイブが禁断の木の実を食べるような抑えられない衝動が加算される。
学校やテレビ、現代社会がモラルに包まれれば、禁断の世界への欲求は一気に風船のように膨れ上がる。
男子が男子を苛める場合規模は小さい。やり過ぎれば暴力、恐喝などの領域になり押さえられる。
女子が女子を苛める場合、単純な苛めならばまだ良い。性的苛めに発展すると男子を巻き込む。
そうなると苛められっ子の女子一人を除いて、クラス全員が苛めの共犯となる場合もある。
男子が女子に性的苛めを行なえば、特定な地域を除いて、女子はグループで抵抗する。また男子もそういう行動には出ない。
女子が特定な一人をハブにすれば、その子に集中する。
この手の苛めは告発される事は無い。
教員が単独で手を出せば、教員が醜聞事件を起こして退職なんて破目にもなる。
Sado 記
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